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歴史的関係
オマーン・スルタン国と日本は現在、独自の相互関係を築いていますが、19 世紀後半まで両国にほとんど接点はありませんでした。実際、今日の強固な関係の基盤はおおむね20 世紀初めに形成され、ひときわ密接な交流が始まったのは1970 年代以降です。
限れたものとはいえ、近代以前にも文化交流や人的交流の例があります。たとえば江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には、乳香、捕鯨、ソハールやミルバトの町に触れた項目があります。17 世紀のキリシタン司祭ペトロ岐部活水が、1619年に日本人として初めてオマーンを訪れたとも言われます。
しかし、近代に入ると、より急速なペースで両国関係の構築が進みました。250年以上も鎖国を貫いた日本は、19世紀後半に開国を迫られました。1868年の明治維新で新政府が成立し明治天皇が元首の座につくと、知識や技術を習得し日本を近代国家に発展させるため、様々な使節団が世界に派遣されました。1880年には陸軍の古川宜誉工兵大佐が、短期間マスカットに立ち寄りました。数日後、伊東祐亨司令長官が指揮する戦艦「比叡」が、日本海軍艦艇として初めてマスカット湾に入港しました。続く数年間、オマーンを訪問または通過する様々な日本人との人的交流が見られました。
1924年、明治時代の著名な地理学者・評論家の志賀重昂が、オマーンを訪問しました。これが、両国の現代における関係の大きな転換点とみなされます。両国の関係緊密化を提案するため突然オマーンを訪れた志賀は、前触れなく押しかけたにも拘らずタイムール・ビン・ファイサル・アル・サイード国王への謁見を許されました。志賀の話を聞いて日本への興味を強めた国王は、退位後の1936 年に日本を訪れ、数年間神戸で暮らした末日本人女性と結婚しました。数十年を経た1963 年、故カブース・ビン・サイード・アル・サイード国王が外遊の途上で来日しました。日本は1971年にオマーンを国家として承認し、1972年に外交関係を樹立しました。以来、1994 年の当時の皇太子同妃両殿下のオマーン訪問、1997 年の副首相ファハド・アル・サイード殿下の訪日をはじめ、両国間を多数の要人が往来しています。
両国間で今日のような文化的、人的、経済的な交流が確立された背後には、上述のような歴史的背景があったのです。